「久実……?」「お、襲うなんてありえない。添い寝とかしちゃうんだよ。私のことそういう相手だと思ってないもんっ……」「久実に好きな人ができない理由がわかったよ」好きな人ができない理由――。その答えを自分でも探していたかもしれない。ちらりと朋代を見ると、朋代は謎が解けたようなスッキリした表情をしている。「赤坂に恋してるんだね」「……………恋?」さっき痛くなった胸がもっと痛くなる。「今まで私に赤坂とのこと教えてくれなかったのに、誰かに聞いてほしくなっちゃったんだよ」「え?」どういうことなのか、よくわからなくて首をかしげる。髪の毛がサラサラと落ちた。「それは要するに……好きな気持ちが膨らんで一人で処理できなくなっているってこと」自信満々に言われてしまった。妙に納得してしまいそうだ。「あ、ありえないって。私は確かに赤坂さんのファンだよ。そして、病気と戦う勇気をくれた大事な存在ではあるけど、相手にしてもらえないよ。どんなに望んでも、赤坂さんと付き合うなんて無理だし……」私は必死に否定する。朋代はクスッと笑った。「恋する久実。可愛い」「可愛いだなんて、からかわないでよ……」「誰かを好きになることっていいことだと思う。両想いや片想いは関係ないよ」初恋。私がはじめて好きになった人が、赤坂さん……?「じゃあ、そろそろ帰るね」「あ、うん。ありがと」朋代が帰って部屋に一人になり、朋代の言葉を思い出す。――赤坂に恋してるんだね今まで気がつかないフリをしていたのかもしれない。本当は、ずっと前から男性として赤坂さんを見ていたんだ。赤坂さんのことが、好き。すごく、好き。でも、憧れ以上の感情は持ってはイケないと思っていた。赤坂さんが私を好きになってくれるはずがない。ベッドに横になって、赤坂さんのことをずっと、考えていた。
3―恋の始まり― 久実十八歳 赤坂二十四歳久実side赤坂さんのことを好きだと認めたけれど、片思いでいいと思っている。求めてはイケない。万が一告白なんてしたら、もう会ってもらえなくなるかもそれない。高校三年生になり、もう五月。今は受験勉強を頑張る時だと思って毎日机に向かっていた。早く寝ないといけないけれど、夜のほうが集中して勉強ができる気がする。ふと、携帯に目をやるがメールの受信通知はない。赤坂さんとはメールのやり取りがメインであまり会っていないのだ。寂しいな……。たまには会ってゆっくり話がしたいと思う。そんなふうに思うなんて、私は気がつかないうちに贅沢な人間になってしまったのかもしれない。
夜遅くまで勉強してちょっと寝坊した土曜日。ベッドで携帯をチェックするけれどメールは届いていない。「ふぅー」小さなため息をついて窓に目をやった。すっかり明るくなった空が見えた。シャワーを浴びて着替えを済ませてから、リビングに行く。お母さんが焼いてくれたトーストをかじりながら、ぼうっとテレビを見ていた。芸能界のゴシップが流れている。『続いての話題ですが、芸能界に大物カップルが誕生!?』若い女性が軽快な口調で話している。画面に映し出されたのは、赤坂さんだ。内容が気になるところで一度コマーシャルに行ってしまった。私の心臓はドキドキしている。落ち着かない気持ちのままコマーシャルが終わるのを待っていた。再び番組には女性MCが映し出される。『COLORの赤坂さんが女優の保坂佳乃さんと交際報道が出ました。二人はドラマで知り合って意気投合したそうで……』――赤坂さん……彼女できたんだ。体中に青くて冷たい液体が流れていくような感覚になった。しかも、美人で人気のある女優さんと付き合っているのか……。二人はすごくお似合いだ。お母さんがテレビを見た。「あらー、赤坂さんに恋人が出来たのね」「ほんと! お似合いのカップルだね」恋心を自覚している私は、告白すらしていないのに失恋した気分になった。食欲が一気に奪われたが、食べないとお母さんが心配してしまうので、平気なフリして完食した。
自分の部屋に戻って放心状態でいると、朋代が心配して連絡をくれた。テレビを見たらしく、私が落ち込んでいると思ったらしい。私は一人で部屋で落ち込んではいけないと思い、家の近くの公園で落ち合って、ベンチに並んで座った。「大丈夫……? 久実」心配そうに眉毛を寄せている朋代。天気がいい。せっかくのお天気日和なのに……。私の心はどんよりとしている。「うん……意外に平気みたい。私なんて、赤坂さんに釣り合わないし。ずっと恋愛話とか聞いたことなかったから……祝福の気持ちが強いかも」少しだけ強がったけれど、嬉しい気持ちもあった。赤坂さんが幸せで暮らしていれば嬉しい。でも、髪の毛をバッサリ切りたい気分だ。言葉を交わさないでぼんやりとする。公園で遊んでいる子どもの声が耳に届く。風が時折強く吹いて、髪の毛を見出していく。足元でせっせとアリが歩いている。太陽の日差しが温かくて……泣きそうになった。顔を上げて立った私。「生きる希望をくれた赤坂さんには、いっぱい幸せになってもらいたい」「久実って、強いね」「そうかな」私は強くなんかない。我慢している。本当はすごく弱い人間だ。強くなるために、病を患ったのかもしれないと思う。元気にしているように見せるのが上手いだけなんじゃないかな。「朋代……。励ましてくれてありがとう」「いつでもメールしてね」「うん。また学校でね」朋代と別れて、美容室へ行った。長い髪の毛が好きだったけれど……髪の毛をバッサリ切ってもらった。気持ちをスッキリさせたかったのだ。鏡に映るボブヘアーになった私はちょっと大人っぽく見える。化粧をして大人っぽい服を着ても佳乃さんには勝てないけれど……。
合わせ鏡をしてくれる可愛い美容師さんが「どう?」って聞いてくるから笑顔で「ありがとうございました」とお礼をした。美容室を出ると夕方になっていた。首がスースーする。短くなった髪の毛に触れてため息をついた。お母さんもお父さんも驚いてしまうかもしれない。トボトボと歩き出す。今度、赤坂さんに会ったらなんて言われるかな。短い髪の毛は似合わないって言われないかな。そして、彼女さんを紹介してくれるだろうか……。私なんかに紹介する筋合いないか……。自虐的な気持ちになった。前向きにならなきゃ……。
あの報道があってから一週間後。違う報道が流れて、それはだんだんと白熱していた。佳乃さんに子どもがいると報道されたのだ。誰の子なのかとネットでもテレビでも流れていて、学校でも噂話でいっぱいだった。昼休みに弁当を食べていると聞こえてくる。「佳乃の子どもって赤坂の隠し子って噂だよねぇー」「まーじー? ショックなんだけど」赤坂さんに隠し子なんているはずがない。何度も家に遊びに行ったけど……そんな気配なかったし。でも、私の知らない赤坂さんがいるかもしれない。複雑な気持ちのままご飯を食べていた。私が落ち込んでいるのを朋代は気がついていて、気を使わせているのも申し訳ない。赤坂さんの恋愛事情なのだから、私が気にすることじゃないのはわかっている。元気をなくしている場合じゃないのだ。微笑んで大丈夫と伝えた。それから、さらに二週間が過ぎていた。赤坂さんにはメールも電話もしないまま、私は日常を過ごしている。赤坂さんから連絡もない。私に関係のないことなのだからわざわざ連絡は来ないかと思うけど、どこかで待っている自分がいた。来るはずないのに……私って本当にバカ。
そんな中、新たな報道が出て世間を騒がせていた。私がその報道を知ったのは、学校帰りに立ち寄ったコンビニにある週刊誌を見たからだ。『赤坂。佳乃が既婚者と知って不倫を持ちかけた熱い夜』その雑誌を握る手は震えていた。さすがに、赤坂さんはそんなことをする人じゃない。適当な嘘を平気で書くマスコミに怒りがこみ上げてきた。きっと、今一番傷ついているのは、赤坂さんに違いない。『仕事がキャンセルされ開店休業状態。COLORも解散危機!』赤坂さんを悪者に仕立てるなんて最低だ。雑誌を戻して外に出る。夕方なのに蒸し暑くて初夏を思わせる季節の中、私は赤坂さんのマンションへ走って向かった。途中で心臓が苦しくなって額に汗を浮かべつつ立ち止まる。その後は体調に気をつけてゆっくり歩いた。赤坂さんのマンションへ辿り着くと、ものすごい数の報道陣が待ち受けていた。恐ろしくなって踵を返す。私が赤坂さんと友人関係なのは誰も知らない事実だから、追いかけられることはないけど怖くなった。少し歩いて離れた場所についた時、私は赤坂さんのことが心配になって電話をした。電柱に寄りかかって呼吸を整える。五コール鳴ったところで電話に出てくれた。「赤坂さん……大丈夫? マンションすごいいっぱいマスコミが」『久実、来てくれたの?』久しぶりに赤坂さんの声を聞いた。元気そうに振舞っている。無理をしているのだろう。「……心配になって」『大丈夫。ホテルに泊ってる。缶詰状態。……ってか、久しぶりだな』「……うん」『受験勉強、頑張ってるか?』いつも通りに話してくれる。赤坂さんにとって私は赤坂さんが勇気づけるだけの対象なのだろうか?私は赤坂さんを元気づけることはできないのかな……。空を見上げると太陽は沈み薄暗くなっていた。本当はこんな道端で電話している場合じゃないけど、赤坂さんのことが心配だった。「ホテル……どこなの?」『は?』「明日、休みだから会いに行く」『…………マジで?』「受験生だって息抜きしたいの」『………△△ホテル。ロビーに着いたら電話くれ。何時頃になる?』「お昼くらい」『了解。つーか、俺の居場所、誰にもバラすんじゃねぇーぞ』「当たり前でしょ! じゃあね」電話を切ると私は深い溜息をついた。
次の日の朝。台所でお弁当を作っていた。「あら、どーしたの?」お母さんが不思議そうな顔をして尋ねてきた。「友達と公園ランチするの」はじめて嘘をついた。「あ、味見して?」煮物の人参を菜箸で取ってお母さんに渡す。あっついと言いながら食べた。「美味しいじゃない」「よかった」自分の分は薄めに作り、赤坂さんのは少し味をつけた。ホテルのご飯だけだと飽きてしまうだろうと思って。ありがた迷惑かもしれないけれど……好きだと思う人の喜ぶ顔が観たかった。「外、暑いから気をつけるのよ」「うん。日陰で食べる。あまり長く外にいないようにするから」「最近は、苦しくなることない?」走ったせいで苦しくなったことは言わないでおこう。余計な心配をかけたくないから。「大丈夫。ありがとう」惣菜を弁当箱に詰めつつ、お母さんに返事をした。いつも作ってくれるお母さんの苦労が少しわかった気がする。「よし、できた」バッグに入れて外出準備をして玄関に向かう。お母さんが近づいてきて「気をつけなさいね」と言ってくれた。サンダルを履いて立ち上がった私はお母さんを見つめた。「いつもお弁当作ってくれてありがとう。行ってきます」
「じゃあ、まず成人」赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。「……俺は、作詞作曲……やりたい」「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」社長は優しい顔をして聞いていた。「リュウジは?」社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」「いいじゃないかしら」最後に全員の視線がこちらを向いた。「大は?」みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。「俳優……かな」「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。「映画監督兼俳優の仕事。しかもで新人の俳優を起用するようで面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」社長が質問に答えると赤坂は感心したように頷く。「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。ずっと私から彼女は俺らのことを思ってくれている。芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとすればお腹が大きくなってきているので動きがゆっくりだ。ドアが開くと彼は近づいてきて私のことを抱きしめる。「先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「給食食べる?」「あまり食欲ないから作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであんまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくて思わず作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。「イチゴだ!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べて、子供の話をしていた。その後、ソファーに並んで座った。大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「元気に生まれてくるんだぞ」優しい顔でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくるとは思わなかったのだ。「名前……どうしようかなって考えてるの」「そうだな」「はなにしようかなと思ったけれど……『はな』は『はな』なんだよ。お腹の中の赤ちゃんははなの代わりじゃない」大くんは納得したように頷いていた。「それはそうだよな」「画数とかも気になるしいい名前がないか考えてみるね」「ありがとう。俺
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたことが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった 。しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。あまり落ち込まないようにしよう。大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。食事は、軽めのものを用意しておいた。入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。いつも帰りが遅いので平気。私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。
赤坂side「話って何?」俺は、結婚の許可を取るために、大澤社長と二人で完全個室制の居酒屋に来ていた。大澤社長が不思議そうな表情をして俺のことを見ている。COLORは一定のファンは獲得しているが、大樹が結婚したことで離れてしまった人々もいる。人気商売だから仕方がないことではあるが、俺は一人の人間としてあいつに幸せになってもらいたいと思った。それは俺も黒柳も同じこと。愛する人ができたら結婚したいと思うのは普通のことなのだ。しかし立て続けに言われてしまえば社長は頭を抱えてしまうかもしれない。でもいつまでも逃げてるわけにはいかないので俺は勇気を出して口を開いた。「……結婚したいと思っているんだ」「え?」「もう……今すぐにでも結婚したい」唐突に言うと大澤社長は困ったような表情をした。ビールを一口呑んで気持ちを落ち着かせているようにも見える。「大樹が結婚したばかりなのよ。全員が結婚してしまったらアイドルなんて続けていけないと思う」「わかってる」だからといっていつまでも久実を待たせておくわけにはいかないのだ。俺たちの仕事は応援してくれるファンがいて成り立つものであるけれど、何を差し置いても一人の女性を愛していきたいと思ってしまった。「解散したとするじゃない? そうしたらあなたたちはどうやって食べていくの? 好きな女性を守るためには仕事をしていかなきゃいけないのよ」「……」社長の言う通りだ。かなりの貯金はあるが、仕事は続けていかなければならない。俺に仕事がなければ久実の両親も心配するだろう。